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驚くべき世界

2009年10月10日 10:42

みなさん、こんにちは

笑顔が素敵すぎるあまり、ひょっとしてオカマさんですか?と聞かれてしまったビットウィーンです。
というかオカマさんって笑顔が素敵なのか・・?

それはさておき、最近私がよく疑問に思うことは、

重力って何だろう?

もちろん重力というのは質量を持った物体どうしの間に働く引きつけあう力、というのがその定義です。

重力は地球や太陽などの天体にしか働かないと思っている人がいるかもしれませんが、実は人間どうしの間にも重力は働いています。
もっとも重力は質量と距離に比例するのでその力はごく小さいものになってしまいます。
しかし宇宙空間で10cmほど離れている人間どうしなら、一時間ほどで、二人は重力の力によって接触してしまうという話を聞いたことがあります。

ただ私が疑問に思っているのはそういう重量の性質のことではなく、そもそもどうしてそんな力が働くのか?ということです。

質量を持ったものどうしが引き合う? 
何ですか?それ?


地球や生命の存在もそうですが、宇宙を支配している物理法則自体が、非常によく出来ているというか、偶然とは思えないというか、そこに何かしらの意図を感じます。

宇宙や地球、そして私たちが存在しているのは、何の意味もなくただいるのではなく、何かしらの目的があって存在しているのではないか、ということをよく考えます。

強力な力を持った何者かの意図によって、宇宙が作られ、物理法則が作られ、生命が作られたということです。

そう考えると私たち人間が生きている意味って何だろう?という疑問が湧きます。
各自が生きる意味を見出すのではなく、もともと与えられた使命のようなものがあるのではないか、というふうに考えます。

実は私は運命論者的な考えを持っていて、

人の運命は変えられない

というふうに思っています。

まあこう書くと努力や善悪を否定するような考えに誤って結びつけられる恐れがあるのですが、

人はその人の運命に忠実に生きる

のが正しい生き方ではないかと個人的には思います。
(あくまで個人の考えです。運命は変えられる!と頑張っている人を否定するつもりは全くありません。)

ところで気になって重力のことを少し調べてみたのですが、科学者の間でも重力の存在自体が絶対的に認められているわけではないようです。
重力なんてものは存在しない、と主張している科学者もいるみたいです。
あくまで現象を説明するのに都合がいい前提の一つというのがその位置づけのようです。

ということはいつの日か、重力に取って変わる新しい理論が構築される可能性も無きにしもあらずということになります。

う~ん、われわれは実に奥深い世界に住んでいることになりますね。

この驚きに満ちた奇跡のような世界を楽しもうという発想を、私たちはもっと持つべきなのかもしれません。


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科学は宗教だ

2009年07月19日 12:52

現実の世界に比べれば、科学などはごく素朴で、他愛ないもでしかない。
それでもやはり、我々が持てる物の中で一番貴重なものなのだ。


アインシュタイン




思考は現実化する。

人の意識は作用しあう。

病気を治すのは患者の意思である。


こういったことを最近の記事で私は書いていますが、よくこういう内容に対して、

非科学的である、科学的根拠がない。

といった批判をする人がいます。

また最近、

科学って全部数式で説明のつくことではないんでしょうか?

というコメントもいただきました。

たしかにこれは一般の人の科学に対する率直な感想であると思います。

科学の世界には、

答えが分かるまで数式は書くな

とう格言があります。

みなさんの中には実験や計算を重ねてそこから何かを発見することを科学だと思っている人がいるかもしれませんが、実験や数式というのは後付けに過ぎないのです。

科学の偉大な進歩のほとんどは、人間の創造力から生まれてきました。

ダーウィンの進化論、現在でも賛否両論がありますが、ダーウィンがこの説を発表した当初はまだDNAが発見されておらず、進化論を裏付ける証拠は一切ありませんでした。
周囲から激しい批判を浴びました。

それでもダーウィンは自分の主張を曲げませんでした。
自分の考えが正しいはずだと。

アインシュタインの相対性理論もそうです。

アインシュタインの理論は実験器具などは一切使わず、思考実験と言われる、全てがアインシュタインの頭の中で組み立てられた理論でした。
当時はそれを検証するだけの技術も十分に発達していませんでした。

科学の世界では実験結果の捏造が頻繁に行われてきました。
特に昔は実験技術が稚拙なため、理論が正しくても、思ったような結果がなかなか出てくれないということが多くありました。
だから自説を絶対に正しいはずだと信じる研究者は、都合のいい実験結果だけを取り上げるということをしてきました。
これが疑いようのない科学の歴史の一面です。

相対性理論や量子論といった現代物理学は時の検証を経た現在でも、批判をする人がなかなか絶えません。
たしかに現代物理学は一般人の感覚からすれば、オカルトと取られてもしょうがないような内容です。
あまりにも私たちの日常感覚、常識からかけ離れています。

量子の位置は確率によってしか示すことは出来ない、という不確定性原理など、一般人にとっては、

物質の位置が確率によってしか決められない?
何のこっちゃ?


という感覚だと思います。

だから頑としてそれを受け入れようとしない人たちがいます。
専門知識を持った科学者の中にもいますが、むしろ一般人からの理由なき反発みたいなものをよく見かけます。

科学的でないものは信じない、というような主張や、逆に科学に対して反感、嫌悪感を抱く感情がどこから来ているかというと、それは

科学万能主義

だと思います。

けど私は現代科学や相対性理論の考え方が、本当に真理なのか正しいのか、と聞かれれば、

おそらくは間違っていると思います。

けどそれは当たり前のことだし、それでも私は量子論や相対性理論を支持します。

現時点では世界のごく一部の現象を、他のどの理論よりも正しく説明できる考え方だからです。

科学は現実世界の本当に限られた一部分を、完璧にはほど遠く、それでもこれまでの人間の全ての英知を結集して、世界を理解しようと試みた最善のものだからです。


所詮は人間が考えたものですから間違いもします。
今後も様々な訂正が加えられていくものと思います。
そしてそれが必ずしも真実に近づいているとは限りません。
正しいと思っていることが、逆に真理から遠ざかっているのかもしれません。
けどそれでいいのです。
常に向上しよう、真実に近づこうという意思を持つのが人間だからです。

こういった科学の本質を考えたときに、精神世界について考えを述べるのは、オカルトだ、おかしい、インチキだと批判をするのはいかにも的外れなことだと私は思います。

自分に他人に感謝すれば、人生が明るくなる。

これを数式で上手く説明することは難しいかもしれません。
しかし実際にそうであるならば、現実にその考えが自分や周りの人を幸せにし、世の中をより良くするならば、それは立派な考え方だと思います。

この考え方が将来科学にならないなんて誰が言い切れるのでしょうか?

科学は宗教だ。

けれどそれが科学であっても宗教であっても、オカルトであっても、それを世の中の役に立ち、正しいことのために使えるかどうかは全て人間次第です。

科学が第一ではない、常に現実世界を優先すべきです。

世の中をよりよくするものなら、オカルトでも何でも認めて構わないじゃないか、というのがオカルト科学者としての私の意見です。


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ビットウィーン博士、究極理論を完成!?

2009年07月11日 08:29

ひさしぶりにやってきました!
ビットウィーン博士の科学シリーズ第4弾!

今回は統一理論を飛び越えて、究極の理論を提唱。
回を重ねるごとにどんどん内容がディープになっており、もはやその内容は科学の域を超えてオカルトの世界!?

それではいってみよう!

みなさん、こんにちは、博士です。
最近、人に引き寄せの法則というものを紹介してもらい、それに関係した「ザ・シークレット」という本を読んでみました。
本の内容は私が考えてきたことと非常によく似たことが多数書かれており、共感する部分がたくさん書いてあったのですが、その中でもとりわけ驚いた箇所がありました。

この考え方は私もだいぶ前から同じようなことを考えていました。
けれどもあまりにも突拍子もない考え方であり、周囲の理解はとても得られないとして、これまで一度も他人には話したことがありませんでした。

しかしこの本を読んで、自分と同じような思考をした人がほかにもいたという事実に、たいへん勇気付けられたので、この革新的な宇宙と知的生命体の意識に関する理論を紹介してみたいと思います。

たしか私が高校生のころだったと思いますが、私がかなりの悪事を働いたことがありました。
これは本当に悪いことなので、とても詳しくは紹介することはできませんが、その自分が行った行為がそっくりそのまま自分に跳ね返ってきたのです。
とても偶然だとは考えられない出来事でした。

そのとき私は常識では説明がつかない超自然的な力の存在を初めて意識しました。
神様が本当にいるのではないかと考えました。
神様が自分の行いを見ていて罰を与えたと思いました。

私は本来かなり性悪な人間です。
決して卑下して言っているのではありません。
おそらく自分と同じような性質を持った人間はほかにも結構いると思います。

一方で世の中には、天性のすばらしいパーソナリティを持っている人というのも少なからず存在すると思います。
これはもう本当に才能だと思います。
私のような性悪人がいくら第二の天性を磨こうが、決してかなわない壁のようなものを感じます。

そのような人をねたんでいるのでありません。
むしろ私はそういう人たちのことが大好きですし、崇拝に近いような感情さえ抱きます。

ちょっと話が逸れてきましたのでこの話題はまた機会を改めます。
本題に戻ります。

ところが私の現実の行動は本性とは全く異なったものなのです。
その理由は感情の作用、反作用の法則ともいえる報復を私は恐れるからです。

他人に怒りや憎しみの感情を向けるたびに、それがそのまま自分に返ってくるという経験を何度もしました。

これはいったいどういうことだ?
自分と他人との間には何か見えないつながりがあるのではないか?
なぜここまで作用しあうのか?


そして考えたのは、

他人は本当に他人なのか?
ひょっとして自分と他人は同じ意識を共有する存在なのではないか?
今の意識を自分だと思っているが、次の瞬間には他人の意識になりかわっているということはないだろうか?


自分は他人? 他人は自分? 
人間の・・・全ての知的生命体の意識は本当は一つ?

全ては一つ・・・・・・?!


うぉっほん。
え~とみなさんここまでついてこれているでしょうか?
どうも一抹の不安が・・・
絶対におかしなやつだと思われている気がする・・・

「ザ・シークレット」の中ではこのことを次のように紹介しています。

存在するのは常に宇宙の一つの意識


バンバン~バン ババババ~ン、バン!

ババババ~ン バン ババババ~ン!


※次回に続く。



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ビットウィーン未来を語る

2009年03月20日 13:10

みなさん、あの伝説のシリーズが帰ってきました!

前回、前々回と「意味がさっぱり分かりません」という大反響を巻き起こしたビットウィーン博士の科学シリーズ第三弾です!

ところが先日このシリーズの内容に興味を持った大変マニアックな方が現れまして、その方のせいでおかげで今、科学界相場界で密かな注目を集めており、この度めでたく復活となりました!

実はもっと早くに続編を発表する予定でした。
次回からは図とかも用いて分かりやすくしてやろうと思い、もう何年もホコリをかぶっていた「世界一分かりやすいエクセル」のCDROMをセットしたのですが、

何かすでにPCに対応していませんでした。 し~ん・・

というわけでいつもどおりの文章だけの記事になってしまいますが、ま、まあ元々博士の得意とするところは実験器具などに頼らない思考実験ですからね。きっと大丈夫だと思います。
それではどうぞ!




みなさん、こんにちは。

私は最近こそ寝ているときの夢の記憶がほとんどありませんが、小学生の一時期、夢の中でこれは夢だと自覚できることがよくありました。

なので目覚ましを止めて二度寝をしたという記憶があるときは、自分で自分の頭を必死でたたいて目を覚まさせようとしたこともあるくらいです。

そして夢の中でそれを自覚できると他にもいろんなことができたりします。

と言っても決してハレンチな犯罪行為とかはしていませんよ! (・・;)
私は当時純粋無垢な小学生でしたからね!
ま、まあ軽犯罪くらいの行為はひょっとするとしてしまったかもしれませんが・・忘れました。

さて、その頃、夢の中でよくしていたのは空を飛ぶということでした。
といっても実は空を飛ぶという行為はそんなに楽なものではありませんでした。
結構体が重くて疲れましたし、あまり高いところを飛ぶと恐いのでたいていは地上から数メートルの低空を飛行していました。

というふうにまあ夢の中ではいろいろ好きなことが出来たのでその頃は夢を見るのがかなり楽しみでした。

ところで多くの人は特に夢から覚めた直後などは、次のようなことを一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

この世界は本当に現実なのか?

ちょっと話が唐突な感じがするかもしれませんが、相対性理論について少し話します。

相対性理論は光速度不変の原理から導かれる理論でそこから演繹される結論には

速度の増大によって時間の進み方が遅れたり、光が重力によって曲げられたり、質量がエネルギーに変換されたりする、という驚くべきものがたくさんあります。

これらの結論は相対性理論発表当時は観測技術自体が発達していなかったので実験による証明ができず、よって世界中のほとんどの人はこれを信じようとしませんでした。
だからアインシュタインも相対性理論ではノーベル賞は受賞していません。(別の研究で受賞しています)
全てがアインシュタインが自分の頭の中だけで考えた思考実験だったからです。

その後、観測技術の進歩に伴い、相対性理論の驚くべき予言は次々と実証されていきます。

すごい、アインシュタインはどうしてこんな世界、宇宙の真理に気がついたんだろう。

と多くの人は思いました。

しかしここで私ビットウィーン博士が抱く疑問は

本当にそうか? 本当にアインシュタインが存在する世界、宇宙の真理を見つけ出したのか?

逆にアインシュタインの精神が新しい世界を作り出したのではないだろうか?

アインシュタインはそれまで何百年にも渡って科学界で続けられてきたエーテルという物質の存在に関する議論に終止符を打たせました。
「エーテルはあってもなくてもいい」と。

そして現代物理学の第一人者でホーキング博士もやはり「実際にそれが存在するかどうかは重要ではない」というようなことを語っています。

E = mc2

この式は悲劇の宿命を背負いながらも、最も美しいと呼ばれる方程式です。
この式の意味するところは質量はエネルギーに変換できるということです。
物が燃えて気体になるとかそういうことではなくて、あなたの目の前の机が都市一つ分を消滅させるだけのエネルギーに変換可能である、という意味です。

実はこの法則にちょっと似たようなことを私が考えているというか以前から確信している事といってもいいかもしれませんが、 それは

人の精神、いや人間だけでなく植物を含む全ての生命の意識、知性はエネルギーに変換可能である

ということです。

まあオカルトと呼ばれてもしかたがない主張だと思いますが、この思考が現実世界を作るということは、私が日ごろから非常に意識して実践しようとしていることでもあります。

なかなか証明は難しいかもしれませんが、このことは実体験としてはきっとたくさんの方が経験されているのではないかと思います。

どうして愛情をこめて作った料理はおいしいのか?
どうして相手のことを思って書いた文章は相手の心に届くのか?
どうして機械が作った音より自然や人間が奏でる音のほうが心に響くのか?

というわけでみなさんぜひ




ビットウィーン真理教に入会してください!

今なら新規会員に限り通常300万円する幸運を呼ぶネックレスが特別ご奉仕価格の24万9800円です!



し~ん・・ 


あ、あれ? ひょっとして空気・・読み間違えたかも・・・
( ̄Д ̄;;




す、すみません、実はまだとっても大事な真面目な話が残ってたんですが・・どうしよう・・・

思わぬアクシデントにより完全に場の雰囲気が変わってしまった気がするのですが、一応言っておきます。

実は人間が統一理論を完成させ、宇宙の神秘を全て解き明かしたとき、その瞬間に我々のいるこの宇宙は消滅してしまうのではないかという説があります。

人間精神が新しい世界、宇宙を作りだし、そして全てが明らかになるとき全てが無に帰るのではないか、というのです。

これはあくまで私なりのこの説の根拠ですが、新しいものを探求する知性と精神が失われるからだと思います。
精神なきところにもう世界は存在しないからです。
現実があって我々の意識があるのではないのです。
私たちの意識こそが現実世界を作りだしているのです。

このことを考えると過去にこのシリーズで紹介したある女性が私にたいして取った意味不明の態度、行動の理由が分かる気がします。

あの女性は世界を救ったのかもしれません。

この人は・・全てを解き明かしてしまう・・そうなったら私たちは・・世界は・・・ 

歴史の片隅の1ぺージに、たったひとりで全宇宙を救った勇気ある偉大な一人の女性がいたことを、みなさんどうか称えてやってください。


※過去のシリーズを読んでいない人は右のカテゴリーに科学シリーズがありますのでぜひ目を通してみてください!

なお今回の記事に対するお問い合わせは恒例の「ビットウィーン博士係」宛てでお願いします。


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なんか最近の上昇ぶりがすごいです。けど為替カテゴリーでいいのかなぁ・・

ビットウィーン宇宙の全てを語る

2008年12月10日 11:15

お待たせしました、科学シリーズ第二弾!

前回第一回の微妙な反響を華麗にスルーして、またまた趣味の科学、宇宙論について勝手に熱く語らせてもらいます。

今回取り上げてみたいのは


「ビッグバン」


「知ってるよ、はるか昔に大爆発が起きて宇宙が

誕生したっていう話でしょ。」



そうそうまるで機嫌が悪いときの女性みたいに

ドッカーン!と




ってそんなわけな~い!


いいですか! それは誤解です。

そもそも何もないところからいきなり宇宙が誕生す

るっておかしいでしょ!

そんなの科学でもなんでもありません。



一般の人はもちろん時々専門雑誌等にも勘違いしているのではないかという記事が見受けられるので、ここで私ビットウィーン博士がきちんと説明しておきます。

この「博士」って響きなんかいいですね。一度でいいから実際に呼ばれてみたいものであります。
「博士、どうですか?」
「う~む、これはな、かくかくしかじか・・」
なんか憧れます・・

話を続けます。
おそらくビッグバンというネーミングが多くの誤解を招く最大の原因でしょう。
たしかに「大爆発!」って感じがします。

ビッグバンのより正しい日本語訳は「火の玉」です。
初期の宇宙はがまるで火の玉のように高温、灼熱の状態であったということからビッグバンという名前がつけられました。
なぜそんなに温度が高かったのか?
これは満員電車の場合と同じです。

初期の宇宙は現在の宇宙に存在するのと同じ物質量が非常に狭い空間に押し込められていました。
するとどうなるか、当然温度が高くなります。
さらに密度も非常に高かったことから光さえも通過することができない、まさに暗黒の灼熱地獄というのが初期の宇宙の姿です。

その後宇宙の膨張が始まり現在の姿になったいうことは皆さんも知っているとおりであります。
これはコップの水をこぼしてしまった場合を例にあげると分かりやすいと思います。
私も時々やってしまいますが、「アッ!」と思った次の瞬間には中の水があっという間に周囲に広がっていってしまいます。
宇宙の場合は約137億年前にどこかの誰かさんがうっかりコップをこぼしてしまいました。
そして今現在も宇宙はすごいスピードで広がり続けているのです。

しかしここで大きな問題が立ちはだかります。

拡大する宇宙、ではこれを逆に巻き戻していくとどうなるか?
宇宙はどんどん小さくなります、どんどんどんどん・・・っていつまで? 
最後には消えて無くなっちゃうの?


消滅してしまうということはありません、それでは無から宇宙が誕生したという一般のビッグバン理論のカン違いと同じになってしまいます。
これがいわゆる「特異点」と言われるものであり、現在の科学ではここから先には一歩たりとも進めません。
全く分からない、お手上げ状態なのです。

実はこれと同じようなことが進化論にも当てはまり

ます。


いわゆる人間はサルから進化した、さらにそのサルは・・とさかのぼると生命はもっとシンプルな構造の生物から徐々に進化していったというあの進化論です。

では生命の誕生までさかのぼるとどうなるのか、微生物と呼ばれるようなものまでさかのぼったとしてじゃあその微生物はどうやって誕生したのか?
まさか生命ではない他の単なる物質から生まれたとでも言うのでしょうか?


そんなのはおかしいと誰でも思うでしょう。
進化論はこの疑問に対しては明確な答えを一切持たないのです。
つまり進化論とは生命の誕生を説明する理論ではなく単なる生命の進化の一過程を説明しているにすぎないのです。

事実世界では進化論を支持せず、生命は神様がおつくりになったと考えている人のほうが先進国でも多いはずです。

「そんな、バカな!」

と思われるでしょうか。

しかし私もそれが神様だと信じているわけではないのですが、超越的な力を持った何か絶対的な存在が生命や人間さえも作りだしたという可能性について真剣に考えたことがあります。

この考えは進化論や他の理論がこの問題にたいして全く有効な説明をできない現実を考えるとそんなにバカにできるものでもありません。

「ハッ!」

いつのまにか予定の分量をすでに超えてしまっているようなので今回はここまでとします。

このシリーズのご意見、ご感想がある方はぜひ「ビットウィーン 博士」係までコメントをお寄せください。

それではみなさんまた次のシリーズ第三回でお会いしましょう。



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